「現代小説のレッスン」石川忠司 講談社現代新書

始めて読んだ人だけど、かなり頭の切れるオッサンと見た!?
ベンヤミンを使って物語と近代文学を対比し、共同性の中で他者とのコミュニケーションの中で表現される物語に対し、ひとり孤独に呻吟するなかで成立する近代文学は、言葉として語られる物語がもっていた「豊かさ」を欠くという。そしてそれを補うためにストーリー内容や会話に加えて「内省」「描写」「思弁的考察」という要素を発展させてきた。しかしこれら付け加えられた要素はストーリーの単純さを補うために必要でありつつも、下手をするとかったるくし、近代文学をつまらなくもする。
それじゃあ文学を面白くするためには、それを「かったるく」する内省や描写、思弁的考察といった構成要素を取っ払ったり、特定のジャンル小説の枠に押し込むこんでしまえばすむのだろうか。筆者はそうは考えない。文学が「エンタテイメント化」するとは、活字から物語の豊かさを目指しながらも、同時に活字にとどまるという二重の課題を負うことであるという。
そしてこのような意味での「文学のエンタテイメント化」という課題にどのように答えようとしているのかという観点から最近の本を読み込んでいく。
巧いじゃないか。

こうした筆者の意見は、大塚英志の意見と対立するものといえるかもしれない。石川さんは形式的なストーリーの弱さを前提としているが、むしろ大塚はストーリーていうのはそれほど弱いものではなく、もっと強固に小説全体をを拘束するものと見なしていたように思う。