最近話題(もう古い?)の「涼宮ハルヒの憂鬱」のアニメを某所でまとめ見た。ついでに原作もためしに読んでみた。
ラノベなんて読んでたら頭が悪くなる”ことを厨房時代の経験で思い知っているので、ラノベにだけは手を出すまい、と固く誓っていたのだけど、”どうせ今駄目人間だし、毒を食らわば皿までじゃない?”と、自分を説得してついに手を出してしまった(ちなみに昔ラノベを読んでいたことはとりあえず俺の記憶をを改変してなかったことになっている。フォーチュンクエストとか読んでたなんて誰にも言えやしないよ)。

で、”面白くないことはないが、それほど面白いわけでもない”、というのがこのアニメと原作を読んでの俺の感想。
いろいろな人がそれぞれ任意の対象と比較しているだろうが、俺には「赤毛のアン」が一番近いような気がした。バカではないがつまらない男wギルバート=キョンの視点から見た赤毛のアンハルヒ、って感じ。
とくにアニメの最終回のあれって、まさにギルバートに籠絡されたアン・シャーリーの悪夢を見るようではないか。
赤毛のアンといえば、小説家になりたいという野心をいだいたちょっと変わってるけど魅力的な女の子が、「普通」の固まりみたいな糞つまらん男と結ばれて、現実の中に回収されていく物語。あの野心にもえた我が愛するアン・シャーリーがギルバートの前に屈服していく様は、読んでいていたたまれなくなったものだ(特に虹の谷のアンが最悪!許さんぞ、ギルバート!)。アニメのあの最終回にはアンの姿がだぶる。
涼宮ハルヒもかつての先駆者アン・シャーリーと同じ道を歩むことになるのだろうか。実際に原作で涼宮ハルヒは巻を進めるごとに世界を変えたいたいという野心を失い、ちょっと言動が変わっているだけの「普通の女の子」になっていく。そしてそれにつれてヒロインの座から後退する。
21世紀にこんな古くさい描き方はありなのか!?、ちょっと無批判過ぎはしない?という疑問は残る。