Paul Pierson, "Politics in Time"

ポールの方のピアソンさんは某先生に拠れば”髪がこーんな長くって(肩まである)、気持ち悪いやつなんだけど、頭は切れるんだよね”な人らしい。面白そうなとこだけ斜め読みする。

個人的に、歴史的制度論ていうやつが嫌い。
”歴史で説明するって何だよ?、そもそも歴史って何だ、歴史こそが説明すべき対象ではないか!”と思ってしまう。
実際、歴史的制度論をとる人にその点について聞いたことがあるのだが、いくつかの経済史家による本を例にあげて”これが歴史”といわれてびっくりしたのを覚えている。
ポール・ピアソンはこの本で歴史の問題を歴史以前の問題として処理する。つまり歴史を”時間”として取り扱い、temporal process−経路依存やPositive feedbackだとかについて検討する。
ところでKnillとLenschowによれば構築主義と合理的選択論との間を架橋する戦略は典型的に二つあるという(彼等自身はどちらでもない第三の道をとるのだが・・)。
1,合理的選択論の論者にしばしばみられる戦略で、諸アクター間の戦略的相互作用の分析は、それに先だって規範やアイデンティティ、知識や文化の形成の分析が必要であるとすることで、逐次的な関係にあると考える。
2,第二の戦略は逐次的と言うよりは付加的であり、戦略的か、文化的紐帯かといったように一つのロジックに従うよりは人間行動はより多面的で、異なったロジックを示していると考える。例えばEUなどの国際的な組織において、アクターは戦略的に行動するだけでなく、熟議的あるいは論争的なスタイルで行動し、自らも学ぼうとする一方で他者を説得しようと試みる。従ってこの戦略では、政策や制度変化は単一の行動論理やシークエンスに還元できるのではなく、複雑な相互作用から帰結すると考える。
ピアソンは第一の戦略をとっていると見るべきかな。まさにsequenceの問題を考察してるし。
ブログもやってるN大のT村先生はイマーガットの議論を引いて熟議民主主義論をアクターの選好の変容という観点から着目していた。イマーガットの議論なんかは第二の戦略として考えてみてもいいかな。