ジブリの新作がル・グウィンの「ゲド戦記」に決まったそうだ。監督は宮崎駿の息子がやるらしい。
ジブリがゲドをどう描くのか、ル・グウィン信者としては期待と不安が入り交じる。
でもどちらかというと不安の方が大きい。息子の監督だけど駿の影響力は無視できないだろうし、なんか駿の強烈な個性によって作品を犯されるようで怖い。

ところで、ル・グウィンの新刊が出ている。「なつかしく謎めいて」という謎めいたwタイトルだが内容はすばらしい(タイトルはあれだが、翻訳はすばらしい)。
この本は、シータ・ドゥリーブという女性から、彼女が空港の待合席で発見した次元間移動法を教わった作者を思わせる”わたし”が異次元を旅して見聞きしたことをしるしたエッセイ風の16本の短編から構成されている。
軽いタッチだが、それぞれの短編に描かれたユートピア世界は、その次元に暮らす人々の生と死の歴史がこれでもかと詰め込まれている。遺伝子レベルから人間の条件を改編することによってユートピアを実現しようとした社会の帰結、次元の接点からアメリカナイズな資本主義が流入しその影響に晒されている社会、古い伝統社会をかたくなに守ろうとする社会など、16の短編を通して複数のユートピアの帰結を描き出している。

この作品てもしかしたら駿の描いてきたユートピアに対するアンチテーゼなのかもしれない。駿がナウシカのマンガ版で描きその後も繰り返してきたようなユートピアではない、べつのさまざまな可能性を思考しているわけで。

そしてジブリによる映画化を俺みたいなル・グウィン信者が恐れるのは、ル・グウィンの世界の中にある複数の可能性が駿の強烈な解釈で単一の解釈に収斂されるからなのかも。