禁欲できない。

某所で公務員を目指す学生さんに政治学行政学を教えていたりするのだが、今日の講義では本来の話題そっちのけで北朝鮮関連の話題に終始してしまった(一応給料分はやるべきことはやったのだが)。


学生たちに「どう思う?」と訊いてみると多かれ少なかれ戦争への危機感を抱え、ミサイルや核への恐怖、先行きの見通しの暗さへの不安感などを表明していた。しかしながらいまだこの直感レベルにとどまり、具体的にどのような政策を採るべきかの選好は固まっていないようだ。

こういう場合、戦争というオプションだけでなくそれ以外のオプションも提示してどちらが有効なのか判断の素材を提供するのがウェーバー的禁欲のもとでの教える側の模範解答なのかもしれない。


しかしこれにはいささか疑問もある。
というのもこと戦争や平和という話題に関して有効性という視点で話をしているとどうしてもマッド・サイエンティスト的になりすぎるのではないかと考えるからだ。極端な話、綺麗な兵器・汚い兵器というくだらないジャーゴンを使ったり、殺人兵器である劣化ウラン弾の安全性を説き始めるような戯画的な状況に陥る可能性もある。


やはり人間の生命にかかわるような話題においては、有効性というレベルを超えて生命の価値、平和の価値といったレベルで話をすることも必要になるんじゃないのかと思う。もちろんこんなことを言うと”そんな話がおまえに出来るのか”、”おまえが言うとそんな価値も萎れて見えるわm9(^Д^)プギャー”というきついつっこみが待っているのだろうがorz.