ステレオタイプ。

語り得ぬものとはなにか、といわれたら「陳腐なもの」がそれなんじゃないかと思う。あまりに凡庸で陳腐なものは、その事実を前にしてどう語るべきなのか分からなくなる。

「それってあなたのつまんない日常のこと?だから日記も書けないの?ゲームになんかはまっちゃって。」

そうじゃなくて、いや、それもそうなんだけど。今の政治の話だよ。あれは一体どうのようにして語るべきなのだろう?復党騒ぎ、教育基本法をめぐる光景なんて、その決定がもつ意味の大きさに比して、登場する役者にしろ議論にしろあまりにもつまらなくはないか?

こうした政治を批判するとき批判者もその陳腐さにとらわれ、自らも陳腐なものに貶められてしまう。それこそステレオタイプな「新自由主義」「右翼」「ファシスト」といった言葉を使うとき、おまえの言うことも同レベルだなw、おまえこそが陳腐だなw、になってしまう。

かつて某先生に次のようなことを言われたことがある。「君たちが論文を書くとき、先行する研究なりなんなりを批判することがあるだろう。そういうときは批判する対象を動かせ。生きたものにしろ。批判するのなら対象の最良の部分をこそ批判しろ。批判する対象をつまらないもの、ステレオタイプなものにしたとき、批判している君たち自身がつまらなくなるぞ。」

いや、でも、しかし。ちょっと待ってくれ。それ以外にどういえばいいの?だって凄くその通りなんだもの。今の政治って、銀河英雄伝説で描かれていそうなぐらいwにステレオタイプなんだもの。